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病気の後も、「その人らしい生活」を支えるのがソーシャルワーカー。

みやぎ県南中核病院 医療福祉相談室 医療ソーシャルワーカー
大村 亜沙美

社会福祉士  医療ソーシャルワーカー  病院 

「病院で働く」と聞くと、まず思い浮かべる職業は、お医者さんや看護師さん。ちょっと詳しい人なら、理学療法士や薬剤師を思い浮かべる人もいるかもしれない。

でも、病院では、ソーシャルワーカーも活躍している

今回お会いするのは、宮城県の病院に勤めているソーシャルワーカーである、大村亜沙美さん。

病院でソーシャルワーカーとして働く、そして地方でソーシャルワーカーとして働くって、どういう感じなんだろう?そんな話を聞いてみたいと思う。

「困りごとを抱えた患者さん」の相談に乗る

大村さんが働いているみやぎ県南中核病院は、救命救急センターにも指定されている大型病院。

「総合的な診療科があることと、3次救急(注釈1)まで対応しており救急に特化しているのが、ここの病院の特色です。急性期の病院なので、患者さんの滞在日数は平均10日ほどで、容態が落ち着いた方は、長期のケアができる別の病院へ転院したり、ご自宅へ戻ったりしていただく形になります。そういう方たちの退院を支援したり、医療費が払えない方の経済的な相談に乗ったり、病気や障害を抱えた方の生活の困りごとの相談などを受けるのが、私の仕事ですね。」

注釈1   日本の救急医療は、救急患者が発生した際、重症度に応じて、1次救急・2次救急・3次救急の3段階に分けて治療を行うシステムです。3次救急病院は、1次や2次の病院では対応できないような重症患者(心筋梗塞、脳卒中、多発外傷、など集中治療室への入院が必要な患者)へ対応しています。みやぎ県南中核病院は、宮城県南部でたった1つの3次救急病院(救命救急センター)です。

病院として年間3,700台程度の救急車を受け入れている中、大村さんのようなソーシャルワーカーは4人ほど。大村さんは2010年に新卒で入職して以来、医療福祉相談室で働いている。

「今は神経内科の担当をしていますが、運ばれてくるのは脳梗塞の患者さんなど。体に麻痺や後遺症が残る方も多く、リハビリテーション病棟などに転院する方もいるので、どこに転院するかを一緒に考えます。パーキンソン病やALSなどの難病の方は徐々に症状が進行していく場合があり、それぞれの症状に合わせて、家で生活しながら治療に通えそうか、長期療養で入院するのがいいかを考えていきます。」

「病院にこういう相談室があるって、最初は知らない患者さんが多いんです。看護師などに生活の不安を訴えて、『それなら、相談室に行ってみるといいよ』と、紹介されてやってくる。ここの相談窓口が、福祉との最初の接点になる方も多いですね。それまで元気だった方でも、はじめて障害を抱えることになったり倒れて介護が必要になったり、困りごとに最初に出会う場が病院なんです。だからこそ、適切な形で支えていくことが大事になってきます。」

話を聞いていくにつれて、障害を抱えることになったり介護が必要になったりと、病院は「人生が変わる場所」でもあることがわかってくる。

自分の病気をきっかけに、病院で働くことを目指して

これまで経験してこなかった困難に向き合う患者さんはもちろん大変だろうけれど、それを支えていく仕事も、きっと大変だろうなと思う。

大村さんは、なぜソーシャルワーカーとして病院で働くことにしたんだろう?

「足の病気が高校生の頃からあって、何回か入退院を繰り返していたんです。高校も卒業できるかどうかわからない位でしたね。進路を決める時に、病院で働くっていいな、大変な方を助けられる仕事っていいな、と自然と思いました。最初は看護師や理学療法士なども考えたんですけど、医療福祉相談室というのがあるのを知って、社会福祉士の資格が取れる学校に行きました。」

「親も、『自分で決めたならいいんじゃない』って応援してくれて。足の病気があるから看護や介護の仕事とかはできないかもしれないね…と心配してくれていたので、できる仕事があるならよかったという感じでしたね。」

人の役に立ちたいなと漠然と思っていた大村さんは、働いてみて、求められる知識量やスピード感に最初は驚いたそう。

「いろんな社会保障制度についても知らないといけないですし、気持ちだけじゃなく知識や交渉スキルなども必要な仕事ですね。困った方の相談に乗るだけではなくて、病院としてのスピーディーな退院支援や、地域に対しての働きかけもしなくてはいけない。サポートを何も使えないような、制度の狭間にいる患者さんもいたりするので、役所に相談したりするときもあります。」

また、病院で相談に乗るだけでなく、自宅へ訪問したり、時には一緒に出かけてサポートすることもある。

「前に産婦人科を担当していた時、未婚で妊娠された患者さんがいました。育児に不慣れで新生児がちゃんと育てられるか危うかったため、育児サポートが受けられる母子生活支援施設に入所することになったんですが、育児用品などが本当に何もなくて。『じゃあ一緒に揃えましょう』って、一緒に買いものに行ったり、そういうこともやりました。身寄りのない高齢の方なども最近は多いので、自宅に訪問しておうちの状況を見たりもします。本当にその人の人生に深くかかわる仕事なんですよね。」

いつも、患者さん20人位のケースを同時に担当しているそう。子育て中でもある大村さんは、まわりのスタッフとの情報共有を大事にしながら、仕事をしている。

「救急患者の方が多くてベッドがいっぱいになってしまい、1日も早く転院してもらわないといけないような状況も起きるんです。『担当が休みだから明日やろう』ではなく、どうしても急ぎでやらなくてはいけない仕事もある。ただ子育て中ということで、子どもの病気で急に休んだりすることも起きてしまうので、いつ休んでも他のソーシャルワーカーに引き継げるように記録をきちんととったり、進捗を毎朝ミーティングしたりしています。」

「昔は、難しいケースを担当している時、家に帰ってからも『どうしたらいいのかな』って悩むこともあったんですけどね。子どもが生まれてからは、帰宅すると考える暇もなく、育児に追われる。それが結構オンとオフの切り替えになっていますね。」

「あと、ソーシャルワーカーだけでなく、病院のスタッフみんなとの情報共有も大事です。週1回のカンファレンスでは医師、看護師、リハビリスタッフ、栄養士などと、チーム全員で話し合います。現在入院している患者さん全員に対して、『今後の治療方針はこう』『今のリハビリの進み具合はこう』とか確認する。退院後にどう生活されているか、ご自宅に訪問して確認し、医療職の人にフィードバックしたりすることもあります。」

不便もあるけれど、住み慣れた地域で生活できるように

病院での働き方についていろいろ教えてもらったけれど、"地方で働く"ということについても聞いてみたいなあと思う。

東京などの大都市と地方では、ソーシャルワーカーに求められるものは、違ったりするんだろうか。

「地方はどこもそうかもしれませんが、医師不足、看護師不足なんですね。在宅診療や訪問看護なども少ないので、やってくださるところを探すのにあちこちお願いして回ったりします。小児科や産婦人科、障害者施設、透析医療機関なども近隣には少ない。中には介護タクシーで10万円かけて遠くまで透析に通う方もいます。医療資源が少なく、自分の生活スタイルにあった通院先や医療が、なかなか見つけづらいんです。」

また、地方だけではないかもしれないけど、高齢化も進んでいるとのこと。

「独居の方、身寄りが全くない方なども多いです。患者さんに意識がない時に誰が治療方針を確認するのか、仮に亡くなられたときにお迎えに来る方がいるのか、医療機関側でも困りはしますね。でも、身寄りがないから、お金がないからって、医療を断ってしまうことはできない。そこはソーシャルワーカーの頑張りどころです。経済的にかなり困窮している方には、活用できる福祉制度のご案内をしたり治療費を分割払いできる病院を探したりしますし、身寄りがない方の転院に付き添うこともあります。」

都市部みたいになんでもあるわけではないので、あるものをフルに活用したり、どうしてもない場合はどうするか考えたりするのは、地方のソーシャルワーカーならではなのかなと思います。いずれもっと少子高齢化が進むと思いますし、厳しい状況ではあるのですが、ずっと住んできたところで生活できるようにサポートしたいというのは日々思うし、頑張っています。」

また、ソーシャルワーカーとして東日本大震災も経験している大村さん。

「この辺りは内陸なので津波の被害はありませんでしたが、電気の供給が止まったので、慢性期の患者さんも大変でした。人工呼吸器がついていたり透析をしていたり、自宅で療養しているような方が、被災したときに困るんだなあと、あの時感じましたね。」

「沿岸部からはたくさんの救急患者が運ばれてきて…。どんどん人が増えるけど、当院は救急病院なので、ずっとは入院できない。いったん緊急入院させて、近所の病院を回って『受け入れてもらえませんか』と交渉に行きました。災害に限らず、他の病院や地域包括支援センターなどの機関との連携は、普段からとるようにしていますね。日頃の関係があったからこそ緊急時に円滑に連携を図ることができたのだと思います。」

福祉の専門家として、スキルアップし続けたい

これからは、地域にも働きかけていきたいと、大村さんは話す。

「患者さんの個別のケースだけでなく、そこから見えてきた『患者さんの暮らしの場にもっとこういうものが必要だな』『こうしたら、全体の予防にもつながるな』ということにも働きかけていけるソーシャルワーカーになりたいと思っていて。地方なので資源として足りないものはありますけど、そこをどうやって支えていけるかを、他の機関とも考えていきたいと思っています。病院以外のところで働いているソーシャルワーカーさんとも、もっと繋がっていきたいですね。」

「ソーシャルワーカーとして働いてそろそろ10年になるので、これまでの取り組みを振り返ったり、学会発表をしたリ、自分の実践を深めていきたいタイミングでもあります。これから先も10年、20年と勤めていくには、そうしてスキルアップしていくことが必要かなって。自分がいる組織や患者さんたちが住んでいる場所に働きかけたり、政策的なところにも働きかけていけるようになることが大事かなと思います。」

10年働いていても、専門職として、日々まだまだ勉強中なんだそう。

「入職した10年前と今とでは、医療制度もだいぶ変わってきていますし、医療も進化しているから受けられる治療も違う。医師たちは最新の医療を調べて取り組まれているので、専門職としてソーシャルワーカーの自分もきちんと変化についていきたいなって思っています。社会状況も変わりますし、今までと同じやり方では対応できないこともたくさんあるので、知識をアップデートし続けていくことが大切なんですよね。」

「医療ソーシャルワーカーって、病院内でもちょっと特殊な立ち位置なんですよ。他のスタッフは全員医療職ですけど、私たちだけ福祉職。視点も少し違います。病気だけじゃなく、生活や社会背景などを、ソーシャルワーカーとしてはちゃんと見ていかないといけないなと思っています。」

「福祉職じゃない医療職の人たちとチームを組んでやっていくところが、病院の面白さ」とのことだけど、どういう人が、病院でソーシャルワーカーとして働くのに向いているんだろう?

先を見越して考えられるといいのかなと思います。今の困りごとだけではなくて、こういう病状が出るかも、こういうことが起きる可能性もあるな、と推測しながら常に動いていく感じですね。慢性期や回復期の病院はまた違うかもしれないですが、急性期の病院は特にそうです。病状が変動しやすいですし、朝には元気だった方が午後に急変したりもあるので、アンテナを常に張っているような感じですね。」

ただ、病院以外も見てみることも大事だよ、とアドバイス。

「私は病院で働きたいって決めていたけど、学生時代の実習では、特別養護老人ホームにも行きました。病院しか知らないと、福祉施設の現状などはわからなかったと思うんですね。福祉施設ではできないことがあったり、病院だとできないことがあったり、それぞれのできることできないことを知っておくと、他の機関との連携の時も役に立つ。自分の希望する分野以外のところも行ってみるといいかもしれません。」

「あと、自分の家族や友人だけじゃなくて、障害のある方と関わってみたり、いろんな方たちの人生観を知ることが大事ですね。私は病院の小児科で子どもと遊ぶボランティアをやっていたことが、病院のソーシャルワーカーになる上でよかったです。学生時代や時間がある時に、普段まわりにはいなかったような、いろんな立場の人と関わる経験をしておくといいのかなと思います。」

いろんな立場の人にあわせて、その人らしい生活を支えていくのが、大村さんにとっての「ソーシャルワーカー」。

『どんな立場の人でも、平等に、権利としてサポートを受けられるのがあたりまえ』っていうのが、やっぱりソーシャルワーカーが目指すべきところなんじゃないかなって、日々思いますね。障害があったり経済的に困っていたり、なにか社会的に不利な立場にあったとしても、医療がきちんと受けられる権利がある。そういうあたりまえの生活を守れる社会がいいですし、今それができないとしたら、どうしたらいいのかを一緒に関わって解決していきたいです。」

病気を治療するという「医療」ももちろん大切だけれど、「その後の生活や人生を、どうしていくか」までをサポートする、大村さんの仕事もとても大切なものだと思う。

「ご自宅や転院先などで、きちんと生活できている様子が聞けるのが、やっぱり嬉しいですね。よかったなあ、って」と笑う大村さんを、これからも応援したくなる。

テキスト・写真 田村真菜 2018年1月15日

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