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ソーシャルワーカーの視点は、企業で働いても活かされる。

第一生命チャレンジド株式会社 田端事業部・印刷グループ主任
鯉沼 信吾

社会福祉士  精神保健福祉士  特例子会社  企業  人材育成 

「ソーシャルワーカー」と聞くと、どんなところに就職するイメージがあるだろう?

福祉の資格を活かして働くというと、病院や福祉施設、公共機関で働いたりするイメージが多いんじゃないだろうか。でも、そういったありきたりのイメージ以上に、ソーシャルワーカーの職場は広がっている

今回お会いするのは、企業で働いているソーシャルワーカーの1人、鯉沼信吾さん。

鯉沼さんは、第一生命チャレンジド株式会社の田端事業部・印刷グループで主任を務めている。

第一生命チャレンジド株式会社は、知的障がいのある方や精神障がいのある方たちが多く働いており、社員がやりがいを持って働けるようにするのが、鯉沼さんの仕事だ。

障がいのある人たちが、それぞれの能力にあわせて働く

障がいのある方たちが多く働いているというのは、どういったことなのだろう。まずは、どんな会社なのかを尋ねてみた。

「第一生命チャレンジド株式会社は、生命保険株式会社の特例子会社(注釈1)として、2006年に設立された会社なんです。チャレンジドとはもともとアメリカでつくられた言葉なのですが、障がいをマイナスに捉えるのではなく、障がいを社会の為に前向きに活かしていこうという思いが込められています。今は230名を超える社員が働いていますが、そのうち7割以上が、なんらかの障がいを抱えています。」

注釈1    「障害者の雇用の促進等に関する法律(障害者雇用促進法)」に定義された、障害のある人に配慮した子会社のこと。法律では、50名以上の従業員がいる会社では、従業員全体の2.0%以上、障害のある社員を雇用することが義務付けられています。特例子会社では、一定の条件を満たすことで、その会社に雇用されている障害者を、親会社や企業グループ全体で雇用されているものとして算定できます。障害をもって働く社員にとって、障害の特性に配慮した業務や職場環境が整備されやすいというメリットがあります。

業務内容は、本社およびグループ会社の社員の名刺や年賀状の印刷、書類の作成や発送、データ入力などの事務的な仕事もあれば、営業オフィスの清掃、スポーツ施設の整備、本社ビルの喫茶店運営など、多岐に渡る。

鯉沼さんが主任を務める印刷グループでは、本社や全国の営業オフィスからの注文に応じて、年間60000箱の名刺と、5000枚の表彰状などを印刷している。4月から部署が異動する社員が多いため、2~3月が1年の中でもっとも忙しいそう。

知的障がいや精神障がいを持つ人たちが多く働いているとのことだけれど、業務の中で、コミュニケーションに工夫しているところなどはあるんだろうか。

「印刷グループには21名の社員がいるんですが、そのうち15名は障がいがあります。意識していることとしては、雑談を大切にしていますね。会議室に呼んで『最近どう?』って話をするとかしこまっちゃうかなと思うので、コピー機で隣りになったときに話しかけるようにしたり、立ち話で仕事のことなどよく聞いています。僕は子どもがいるので早めに退社して育児や家事をすることが多いのですが、たまにみんなで飲みに行ったりもしますよ。」

「あと、週に1~2回は、トレーナーやリーダー間でミーティングをしています。それぞれの社員のことや業務の状況を共有するようにしています。課題ばかりに目を向けるのではなく、がんばっていることや挑戦していることなど、プラス面についても情報共有をしています。」

「『この人はこういう障がいだからこういうアプローチをしなきゃ』とか、障がいにとらわれすぎないようにというのは、気をつけていますね。障がいを見るんじゃなくて、その人自身や、その人の生活や環境を見なくてはいけないなと思っています。」

できるだけ、個性にあわせて、それぞれの能力を活かして働いてほしいというのが、第一生命チャレンジド株式会社の方針。採用前には業務を体験してもらう機会を設け、就職後も、適性にあわせて異動もあり、いろいろな業務を経験できるようになっている。

障がいのある社員も、能力ややる気次第でトレーナーやリーダー、そしてその先の職位になることができるそうだ。

「障がいのある社員のモチベーションも、様々です。『昇進してリーダーになりたい』というような人もいれば、『お給料を稼いでこういうことがしたい』っていう人もいます。それぞれの思いをくみ取りつつ、どうしていったらいいか、どうしたら仕事を通じて成長できるかを一緒に考えるのが自分の役割なのかなと思っていますね。」

倉庫で出会った、障がいのある社員さんがきっかけに

就職して9年目になる鯉沼さんだけれど、もともと、なぜこの会社で働くことになったのだろう。聞いてみると、大学を卒業して最初に就職したのは、大手の物流会社だったそう。

「最初に配属されたのが倉庫だったんですが、たまたま障がいのある社員さんが3名働いていたんです。でも、朝から晩までひたすら段ボールを組み立てるだけとか、単純作業をやってもらう形になっていて。時には気性の荒い社員が、彼らに対してひどい言葉を浴びせていたり…。そういう場面を目にして、すごく衝撃を受けたんですね。このままでいいのかな、って思ったんです。」

「自分自身、どうせ働くなら誰もが楽しく働きたい。誰もがやりがいや達成感を感じられることをしたいなと思って。それで、どうしたら障がいがある人が会社でいきいきと働けるのか考えたい、現状を勉強してみたいと思って、日本社会事業大学に編入学しました。」

会社を辞め、2年ほど大学に行った鯉沼さん。もともと福祉とは関係ない学部を卒業していたため、取らなければならない単位も多く、編入学後は一般学生の倍の量の授業を取り、授業後は学費を稼ぐためのアルバイトという生活を送ることに。

「親は『好きにしろ』という感じでしたけど、友人は驚いていましたね。『障がい者福祉?本当にいいの?』というような。普通であれば、会社をやめて第二新卒でどこかの企業に入ることもできたでしょうし。でもやっぱり自分は、物流会社の倉庫で働いていた時の、障がいのある社員さんのことがどうしても忘れられなくて。友人の忠告があっても、気持ちが揺らぐことはなかったですね。」

福祉系の大学を卒業すると、就職先は病院や行政などが多い中、「特例子会社に就職」というのはなんだか珍しい気がする。

「授業の中で、特例子会社の話を聞いたんです。障がいがある人たちが働きやすいようにつくった会社ということで、ああ、自分が興味あるのはこういうところだなあと。卒論も特例子会社をテーマに書くことに決めて、50社ほど聞きとりをして。第一生命チャレンジド株式会社もインタビュー先の一つでした。後日、『うちの会社にちょっと空きがあるんだけど』と声をかけていただいて、入社することになりました。大学の同期で、特例子会社に就職したのは自分だけでしたね。」

みんなの自主性を潰さないように、まず聞く

入社後はいくつかの部署を経験した鯉沼さんだが、一番いろんな経験ができたと語るのが、カフェの立ち上げ。第一生命日比谷本社ビル1階の「dl.cafe(ディー・エル・カフェ)皇居前店」の立ち上げを、店長として任された。

「会社としてカフェを出すのは3店目です。自分には接客の経験がなく、カフェを立ち上げるのに必要なことがまったく分からない状態で、不安がとても大きかったです…。いろんな人の力を借りて、半年ほどの準備期間で、お店のハード面を整え、スタッフの採用などもしました。初めてのことばかりでしたけど、とにかく何でもやりましたね。」

採用までも大変だったけど、採用後に仕事を教えていくのが、1番大変だったと話す鯉沼さん。

「僕、今でも後悔しているんですけど、最初は指示をすごく出し過ぎたんです。1時間ごとにシフトを作って、あなたはレジ担当、あなたはドリンクづくり、あなたは洗い物など、作業を割り振って。でも、そのやり方だと、自分の担当以外に関心が向かなくなったり、こちらの指示を待ったり、みんなが受け身の状態になってしまったんです。僕がみんなの自主性を潰してしまったと、すごく反省しました。」

当時、障がいがないスタッフは、鯉沼さん1人。あとは障がいがある社員が7人と、アルバイト。お店が落ち着くまでは、他店から応援が駆けつけてくれた。1日250人ほどのお客さんが来る中で、「店長の自分がしっかりしなくては」と気負いすぎてしまったのだという。

「その後、『もっとみんなで考えて動いていってほしい』という話をしたんです。そうしたら、各々で相談したり分担したりして、自分の指示無しでもお店を回せたんですよね。売り上げをもっとあげるための工夫も、新商品の開発メンバーを募って、パンとドリンクをセットにしてもっと売りたいねとか、みんなで話すようにして。自分たちの工夫でよりよい仕事ができると、やっぱり誰でも嬉しいですし、売上額が最高の時はみんなで歓声をあげたりして、楽しかったですね。」

「最初に失敗があったからこそ、今は『みんながどうしたいのか、まず聞こう』と考えられるようになりました。僕は結構1人で抱えてしまうタイプだったし、リーダーとして何かをしなきゃと考え過ぎていたけれど、『もっとみんなに頼って任せていいんだ』と思えて。失敗してみて、やっと学んだという感じです。」

また、自分だけでどうにかしようとするのではなく、就労支援センターといった支援機関と連携しながら障がいのある人をサポートしていくことも、この頃に学んだそう。

「カフェの立ち上げメンバーの中に、『定年まで働き続けたい』と考えている社員の方がいたんです。寮に入っていたんですが、通勤の時に、どの電車に何時に乗るべきかわからない状態で困っていて。そこを就労支援センターや寮の方たちにサポートしてもらって、1人でも問題なく通えるようになりました。会社はあくまで働く場所なので、家庭の問題とか私生活にはあまり介入しないんですが、会社ではできないところを、支援機関と連携してサポートするのは大事だなと思っていますね。」

「障がいのある方も年齢を重ねていくに従って、これまで支えてくれていた親御さんに介護が必要になったり、親御さんが亡くなって自立しなくてはいけなくなったり、そういう瞬間が必ず来ると思うんです。そういう時に、会社以外にも相談できる場所を持っていてほしいし、そういう場所があるからこそ社員が働き続けられるんじゃないかなと。なので、地域の就労支援センターとの繋がりはすごく大切にしています。」

ソーシャルワーカーの視点は、企業でも活かされる

カフェ立ち上げの経験をいきいきと語ってくれた鯉沼さんだけれど、企業で働く面白さは、どういったところにあるのだろう。

「福祉の業界とは、感覚が違うからこその面白味はありますね。たとえば、『こういう障がいの人とはどう接したらいい?どういう風に声をかけたらいい?』と、障がい者と関わったことがない人が、こっそり相談をしてくることもある。確かに社会の中ではそういう人が多いだろうし、これが現状なんだなと思います。福祉にどっぷり浸かった人だけでなく、いろんなバックグラウンドや考え方を持つ人たちがいるのが社会なんだなと、視野が広がります。」

「当初は、障がいがある人がどうしたらいきいき働けるかというのが福祉の道に進んだきっかけでしたが、今は、それって障がいのある人だけのことじゃないよな、と思っています。僕も3年前に半年ほど育休を取得したんですが、障がいがない人でも、それぞれに育休だったり短時間勤務だったりいろいろな事情がありますよね。障がいがある人もない人も、みんなが楽しく働けて、それぞれがやりたいことが実現できるといいなと思います。」

障がいがある人だけに手厚くサポートをするのでなく、障がいがない人も含めて、多様な人たちへの目線を持つようになったという鯉沼さん。

「昔、『福祉の増進を目指して、社会の変革を進め、人間関係の問題解決をはかり、エンパワメントの解放を促す』っていうソーシャルワーカーの基本を学びました。僕は企業に勤めていますが、企業の中でこういうことに取り組んでいると思っています。ひとりひとりがいきいき働けるように一緒に考えていくようなエンパワメントの視点は、福祉施設だけに限らず、企業での仕事にも活かされると思うんです。」

最後に、これからソーシャルワーカーを目指したいという人に対してのメッセージを聞いてみた。

「僕は、社会福祉士と精神保健福祉士、2つの資格を持っていますけど、実習で行かせてもらった病院や作業所での出会いや経験って、すごく自分の財産になっています。記録の書き方だったり、担当の人に言われた言葉だったり。でも、資格がないと必ずしも福祉の仕事ができないってわけではないんですよ。会社にも、資格がなくても障がいがある人とのコミュニケーションがすごくうまい方もいます。」

資格ありきではなく、社会に出てから何がしたいのかが大事な気がしますね。僕は障がいがある人が楽しく働けるような環境を作ることがやりたいことですが、不登校の子どものために何かしたいとか、独居のお年寄りをサポートしたいとか、社会に出て自分がやりたいことをしっかりと持つことが大事だろうなって思います。」

「あと、仕事以外でも、学んできたことというのは人生で活かされるかなと思います。僕の住んでいる地域では高齢化が進んできているんですが、地域を活性化するためにはどうしたらいいかとか、認知症の高齢者を見守るにはどうしたらいいかとか、町内会の集まりで考えたりします。仕事だけがその人の全てじゃないですよね。仕事があって、家があって、地域があって…、そういう中でも福祉を学んできたからこその視点は活かせていると思います。」

これからは、障がいのあるなしに関わらず人のモチベーションや、企業経営について、もっと勉強したいと思っているという鯉沼さん。いずれは、会社で取り組んでいることが論文などにまとめられたら…とも考えているそう。

障がいのある人も、障がいのない人も、ともに幸せに働いていくための取り組みが、もっと社会に知られていく日が楽しみでなりません。

テキスト・写真 田村真菜 2018年1月11日

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